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楽毅〈1〉

楽毅〈1〉 (新潮文庫)楽毅〈1〉 (新潮文庫)
(2002/03)
宮城谷 昌光

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■内容

中国の戦国時代、楽毅は最も優秀な軍師として知られている。本書は楽毅の伝記である。

楽毅は中山という小さな国の名門軍師の息子として生きてきた。成人する頃に都会に憧れて、斉に行き孫子の兵法を勉強する。ちなみに斉は中山とは対立しており、お忍びの留学である。そこで出会った摂公(摂は当て字)という斉の名軍師を尊敬し、摂公からも一目を置かれる。摂公は「近い将来、趙が中山に攻めてくるので、その時は斉に頼りなさい」と楽毅に伝える。中山に戻った楽毅は、まさに趙の侵略を目の当たりにする。

が、中山という国は政治が腐っていたので、楽毅がいくら外交の重要性を説いても聞き入れてくれない状況だった。楽毅は中山は斉や魏などと手を結んで趙の侵略を思いとどませるべきだと主張した。しかし過去のしがらみに捕らわれた中山政府は納得できない。一方、中山王は、息子の太子が大嫌いだった。中山王の正当な後継者なのだが、太子の母親を愛しておらず、妾の女を愛していたので、太子が死んで、妾の女との間に作った子供に王位を継がせたいと思っていた。そこで、楽毅のしつこい提案に一計を講じた。太子を魏への使いとして出し、その道中で暗殺してしまおうという計画だ。その暗略を知った楽毅は太子のお供をすることになった。

道中で太子の人柄に惚れた楽毅は、「この人は絶対殺させてはいけない。現中山王は死んでもいいが、太子に跡を継がさなければ中山が本当に終わってしまう」と考えた。楽毅は持ち前の策略で太子を必死にお守りし、太子から絶大な信頼を得ることになった。旅の目的であった魏との交渉は決裂した。魏は内乱騒ぎで中山や趙に構っていられない状況だったのだ。

中山に帰った楽毅達はいよいよ趙との直接対決に臨む。趙は中山を見下していたので、趙王は「まさか奇襲はないっしょ〜www」と攻めてきた。天才・楽毅はその考えを読み奇襲を敢行した。その奇襲の実行部隊は太子である。太子はやっぱり中山王から嫌われていたので、勝ち目のない戦いに向かわされたのだ。奇襲は効果的だった。趙の援軍が奇襲対策に駆けつけた頃に、中山兵は退くのだが、そこにもトラップが仕掛けられており、趙軍は壊滅的なダメージを受けることとなった。趙王は「中山に名軍師がいる」と悟り、征服を明年に持ち越した。

翌年、超王は準備万端で再び中山攻めを敢行する。太子はやっぱり嫌われていたので危険極まりない地の防塞の指揮を執らされる。楽毅は太子とは違う場所の防塞を任された。楽毅の率いる軍は圧倒的に数が少ないのだが、趙軍をまったく寄せ付けずかなりの時間稼ぎをした。しかし、楽毅の守っている街以外の街が攻め落とされ、中山の首都に趙軍は到達した。なお、この間に楽毅の父が死んだ。太子を守る為に死んだ。太子を何とか守ってくれと父に頼んだのは楽毅だった。

■感想

最初は文体に慣れずに戸惑った。20ページくらい読み進めるうちに、文体になれたことが嬉しくなった。半分くらい読むと、物語の面白さに夢中になった。軍師の考えって深い。本がもう付箋だらけだ。
by shohey0229 | 2008-10-01 22:01 | 読書